Alex_01
いつものように海の道の往路を走り
折り返して復路を走り始めて10分ほどすると
道は緩やかなカーブを描く上り坂に
さしかかります。
そこを早歩きするくらいのペースで
走っていたら前方から不思議なものが
ゆっくりこちらに向かって来たのです。
シルエットは人間のようなのですが、
それにしては小さすぎる。
たぶん背丈が私の膝上くらいまでしかない。
最初は2歳くらいの男の子かと思ったけど
そんな子がこんな朝早く人気のない道を
ひとりで歩いているはずはない。
そう思った時はまだ距離が50mほどあり、
正体を見極められていませんでした。
30mほどに狭まってそれが分かった時、
私は我が目を疑うと同時に慄然となって
その場で足が止まってしまいました。
それは赤と白の縞々のTシャツに
真っ青なデニムのパンツを身につけた
腹話術の人形のようだったのです。
バカな!人形がひとりで歩くはずはない。
私は目を擦ってみましたが、
やっぱり腹話術の人形に見えます。
10mくらいまで迫ると下顎を動かすための
細い切れ込みがあるのまで分かります。
だけどとても人形とは思えない自然な歩き方、
盛んに瞬きする大きな目、よく動く眉毛、
つるりとした頬は陽光に照らされて
艶やかに光っているように見えました。
どうやって歩いているのだろう。
AIロボットなんだろうか。
だけどそれにしては着ている服はぼろぼろ、
ところどころ破れていたり
シミがついてひどく汚れています。
私の目は人形に釘付けです。
すれ違いざま人形をよく観察すると
頬が光っているのは涙のせいだと
気づきました。
人形は泣いていたのです。
大きな目からポロポロと滴り落ちる涙、
胸のあたりが濡れてひどく寒そう。
そう思った途端、恐怖心は切なさに変わり
いたたまれなくなってというか
なんとかしてあげたくなって
“どうしたんだい?”と彼の背中に向かって
声をかけようとしました。
でもダメ、口まで思うように動かない。
すると彼は立ち止まり振り向いて
しゃくりあげながらこう言いました。
「昨日、お父さんと別れてきたんです。
ぼくはこれからひとりで
生きていかなくてはなりません」
どうして別れたのか私には分からない。
それを聞こうとしても口が動かない。
だけどこんなところを腹話術人形が
ひとりで歩いていたら恐ろしく不気味だし、
ここを通るドライバーが目撃したら
パニックになって事故を起こすかも。
それに誰かに動画でも撮られたらたちまち
野次馬たちが押し寄せてくるに違いない。
そんな私の気持ちが伝わったのか
彼は続けてこう言いました。
「大丈夫、ぼくの姿はもうすぐ
誰にも見えなくなりますから。
そうすれば悲しみも隠せるもの」
私は彼の下顎が上下にカタカタ動くのを
悲しくやるせなく思いながら
驚きをもって見ていた。
とても信じられない。
”やっぱりな。これは現実に
起こっていることじゃないよね?”
「それはぼくには分かりません。
だけどおじさんとぼくがここで出会って
今こうしてお話している。
それはホントのことでしょ?」
人形はもう泣いていなかった。
“消えるってこの世からいなくなること?”
「違うよ、新しいお父さんを見つけるまでだよ」
“どうやって見つけるつもり?”
「・・・もう見つかったかも」
”ほぅ、そうか、それはよかった。
もう消えたり悲しみを隠す必要も
なくなるってことじゃ・・・えっ?”
「おじさんの家に洗濯機はありますか?」
このようにして
私と腹話術人形のアレックスの
不気味ではらはらする暮らしが
始まったのです。
************
※この話、気が向いたときに
続きを書いてみようと思います。