こんなこと、書きたくないけど・・・
“しっかりと“とか“真摯に“とか
はたまた“骨太の“なんて言葉には
はっきりとした目盛がついていないから、
ごまかす時に使うにはとっても便利。
どこまでやればしっかりなのか、
どのくらい考えれば真摯なのか、
どれほどの力に耐えられれば骨太なのか、
そんなことはおかまいなし。
とにかく一所懸命にやってます、
ちゃんと考えています、
どんな風雨にも耐えてみせます、
といったイメージを人々に
植え付けられさえすればそれでいい。
効果があったかなかったかは二の次。
そう!イメージは大切。イメージこそ宝。
だから指導するのに相応しくない指導者が
好んで使う言葉だと、もうとっくの昔に
わたしたちは気づいているよ。
効果のない対策をいくら続けたって
事態は改善されない。
それを知っていながらなぜ続けるのか。
新しい手立てをなぜ打ち出さないのか。
専門家や有識者がこうなることを予測し、
忠告や助言を行なってきたのに、
指導者たちは耳を傾けなかった。
(いや、傾けるフリだけはしたのかも)
その結果がこれだよ。
感染者数が1億2000万人になるまで
宣言を出し続けるつもりなのだろうか?
不安も不満も積み重なって
それが音を立てて崩れ去る前に
見てくれでない本物の政策を
打ち出してはもらえないものだろうか。