消化できない夢。
夥しい数のシャボン玉を見た。
不思議なことにそれらはふわふわ空中を
舞いながら降りてくるわけではなく、
重力に逆らう一途な生き物のように
天に向かって一斉に昇っていく。
ぼくは懸命に手を伸ばして
それらを掴まえようと試みるのだけれど
どういうわけか思うように動けず
なかなか上手く掴まえられない。
なんとか掴まえたと思ったシャボン玉は
手応えのないまま小さな粒に砕けて
ぼくの指の間からすり抜けていく。
見上げると太陽が頭上で揺れて見える。
砕かれたシャボン玉は
上昇しながらまた元の塊に戻っていく。
どこからか魚の群れが現れた。
そうか、ぼくはいま水の中にいて
シャボン玉に見えたものの正体は
水泡だったんだと気づく。
水泡はまるで意志を持っているように
互いに集まって楽しそうに統合しながら
みるみる大きくなっていく。
やがて人間が入れるくらいの
大きさになって頭上でピタリと静止した。
魚の群れが周回しながらそれを取り囲む。
ぼくはその不思議な光景に惹きつけられ
緩慢にしか動かない手足を
懸命に動かしながら水泡に近づいていく。
近づけば近づくほど気分が高揚し、
鼓動が激しくなって身体が小刻みに震える。
ぼくはより強い刺激を求めて水泡に迫る。
そして水泡に向かい指先を伸ばした瞬間
魚の群れは弾けるように八方に散らばり、
ぼくは途方もない強い力で一気に
水泡の中に引き込まれてしまった。
驚いたことに水泡の外側にもぼくがいて
水泡の中のぼくを不思議そうに見つめている。
いったい何が起こっているんだろう。
ひどく混乱していると
今度は水泡の外側のぼくがどんどん
大きくなっていく。
いや、そうじゃない。
魚たちも同じように大きくなっているから
逆にぼくのほうが小さくなっているのだ。
ぼくは慌てて水泡から出ようともがく。
だけどその壁はゴムのように弾力があって
押し戻され抜け出すことができない。
かりに抜け出せたとしても
もはやピンポン玉くらいに縮んだぼくは
魚にひと飲みにされてしまうだろう。
このまま小さくなり続け
しまいには消えてしまうのだろうか。
そう感じると恐怖で顔がこわばる。
そんな状況にも関わらず
なぜか心の隅のほうで陶酔に似た
心地よさを感じている。
まるでぼくの中にもうひとつの心があるみたいだ。
何か柔らかい強さに守られているような
絶対的な安心感が胸の中にあるような感覚。
それからぼくは眩いばかりの光を受けて
耐えられず意識を失ったのだった。
どのくらいの時間が経ったのか分からない。
目を覚ますとぼくは水中から飛び出し
ロケットのスピードで太陽に向かっている。
ぼくはもう死んでしまったのだろうか。
あるいは死につつあるのか。
下を覗くと八方に散らばったはずの
魚の群れが一斉にぼくを追いかけて来る。
高度が増すにつれ胸は再び高鳴り
陶酔の度がさらに増してくる。
もうどうにでもなればいい。
けっして自暴自棄になったわけではなく、
これから先どんなことが起こっても
すべてを受容する覚悟をしたのだと思う。
太陽の光が洪水となって降り注ぎ
ぼくから記憶と感情を奪い取っていく。
太陽の熱放射で身体が燃えるように熱い。
身体から何かが流れ出している感覚がある。
それを指先に感じる。
朦朧とした目で見るとすべての爪の間から
乳白色の小さな丸い粒がポロポロ
溢れ落ちているのだ。
なんだろう。分からない。
溢れ落ちた粒が足元をゆっくり埋めていく。
手を振り払っても振り払っても
それは溢れ続けている。
膝を折って目を凝らすと何かが蠢いている。
そうだ!この粒々は魚たちの卵で
その卵から孵化した稚魚が動いているのだ。
そうに違いない。
だけどどうしてぼくの爪の間から
魚の卵なんかが出てきたのか。
立ち上がって魚の群れを見る。
彼らはぼくを威嚇するように
高速で水泡の周りを回り始めた。
魚たちの銀鱗が太陽の光を反射させ
ぼくの目を射抜く。
水泡の中のぼくは目を開けていられない。
雲が出てきて太陽が隠れたのだろう、
やっと目を開けることができた。
遠くで雷が鳴っている。
恐ろしい魚たちはもういなくなっていて、
足元の卵や稚魚も消えていた。
ぼくを包んでいる水泡に何かが当たる音。
雨だ。雨が降り出したのだ。
子どもの頃、大きな樹の下で聞いた
傘に当たる雨の滴の音。
その懐かしい音を思い出しながら
ぼくは柔らかい温度の中で眠った。
3日前に”shape of water”という
ちょっと前の映画を観ました。
この映画を観たのは2回目なのですが、
前回観た時も何日後かに
同じような不思議な夢を見ました。
私だけに波長が合うサブリミナル的なものを
感じるのでしょうか・・・まさか!
※雨模様のしっとりとした週明け、
今日は懐かしい曲を聴きながら
仕事をしようと思います。
写真は昨日撮った準備万端のツツジ。
期待を内包した温かい白。