逃避行

「会いたい」
「どうしたの?急に」
「会いたいっていういう気持ちに理由なんかねぇよ。
ただ葉菜に会いたい。それだけさ」
「いつもと声が違うよ。片桐くん、少し震えてる?」
「・・・ドジ踏んじまった」
「ドジって?」
「会えるなら会ってから話す」
「・・・いいよ、わかった。わたし、どこに行けばいい?」
「ジョニーの店に30分後」
「わかったわ。お金は必要?」
「あればありがたい。用意できそうか?」
「どのくらいあればいい?」
「50くらい」
「いいわ。それじゃマキコ姉さんのところに寄ってから向かうから
少し遅れるかも知れないけど、必ず行きます」
「雨が降ってる」
「大丈夫、じゅうぶん気をつけます」
「こんな夜更けにすまない」
「気にしないで。片桐くんのためならわたし、
なんだってできるから」
「じゃ、30分後。サツの尾行にはくれぐれも気をつけてくれ」
「はい」

「もう来ないかと思ってた」
「バカね。わたしが裏切るとでも?
あら?片桐くん、洋服がびしょ濡れじゃない!
このままじゃ風邪引いちゃうわ。
ジョニー、片桐くんがこんななのに
どうして放っぽらかしてるのよ!気が利かないわねぇ。
早くタオルと着替えを用意してちょうだい」
「わっ、わっ、わかったよ!洗い晒しのジーンズと背中に
“ほめられて伸びるタイプ”って文字の入ったTシャツしかないけど
そんなんでよければ」
「プッ!」
「バカヤロー!そんなTシャツ、オレが着れるかよ。
それに葉菜、なに吹いてんだよ。
オレがのっぴきならねぇ時によく笑ってられんなぁ」
「ごめんなさい」
「ジョニー、いまお前が着てる服、脱げ」
「えっ、これ?これ、店の制服だよ」
「すべこべ言ってんじゃねえ。
オレたちこれから高跳びするんだ。
サツに嗅ぎつけられねぇうちにってぇ時に
服選びなんかしてられっかよ!」
「そうがなり立てんなって。
このボウリングシャツの胸ポケットには
ほら、和風スナック宿り木って
でっかく刺繍が入ってるでしょ?
こんなんで外に出たら思いっきり目立つよ」
「チッ!仕方ねぇ、このまま行くか」
「ダメ!体調壊したら一貫の終わり!
逃げ切れっこないわ。ジョニー、ホントに何もない?」
「あっ、そうだ!彩夏のワンピースと毛皮のジャケット、
それに去年仮装パーティで使ったカツラ!
いま持って来てみるよ」
「ちょっ、ちょい待ち!ジョニー、オレに女装しろって?」
「片桐くん、この際ぜいたくは言ってらんないよ。
着てみて。わたし、メイクしてあげる」
「そうだよ、うまくいけばバレずに逃げられるかもよ」
「ねぇジョニー、この人、何をやらかしたの?」
「片桐さん、話していい?」

「葉菜」
「なに?」
「オレ、似合ってるか?」
「オトコから声をかけられるんじゃないかって
心配になるくらいよ」
「バレないと思うか?」
「わたし、保証してあげる。ただし歩き方がチョー下品よ。
もっと内股で歩幅を狭く」
「こうか?」
「その調子!・・・片桐くん」
「なんだ?」
「なんかやたら楽しいね」
「バカ言ってんじゃねぇよ。オレは必死だぜ。
今度ブタ箱に入ったら、結婚適齢期を完全に通過しちまう」
「プッ!おっかしい。片桐くん、結婚なんて考えてたの?」
「考えていたらおかしいか?」
「だって」
「だってなんだ?」
「片桐くんて家庭を持って甲斐甲斐しく子育てや
家庭旅行なんかするタイプじゃないよ」
「年がら年中遊び回っているふうに見えるか?」
「うん」
「はは〜ん、葉菜はオレのこと完全に見損なってるぜ」
「どういうふうに?」
「まず、オレはちゃんと定職について真面目に金融業界で働いてる」
「借金の取り立て業務・・・だったよね。まだ続いてたんだ」
「そうよ。人間は仕事が充実してれば遊びも楽しくなるのさ。
毎月積み立てもしてるし、危険手当をもらうと預金もするし、
炊事、掃除、洗濯、植木の水やり、
それに毎晩きちんとサウナにも通ってる。
先週末なんかベランダの草むしりよ」
「片桐くんのマンションにベランダなんてあったっけ?
仮にあったとしてもベランダに草なんか生える?」
「おっといけねぇ、つい調子に乗っちまった。
でもよぅ、そのくらいのつもりで真面目に日々を生きてるのさ」
「真面目に生きてるのならあんな大胆なこと、
何度も繰り返したりなんかしないんじゃなくて?
それなのにどうして・・・」
「自分でもわからねぇ」
「相談して欲しかったわ」
「・・・・・・・・」
「わたし、そんなに頼りない?」
「すまねぇ」
「ねぇ、さっき片桐くん、高跳びするって言ってたけど
わたしも一緒に連れてってくれるの?」
「そのつもりだぜ。そう言ったろ」
「嬉しい!どこまで逃げようか」
「サツの目の届かねぇところまで」
「もっと気の利いた素敵な答え方はないの?」
「オレたちの関係が誰にも邪魔されないところまで」
「まあ!それだったらもっとマキコ姉さんに
お金を借りてくればよかった。
あっ、八丁畷(はっちょうなわて)の駅に着いたわ。
どうやらまだ警察の手はここまで伸びていなさそうね。
よかったわ。切符、どこまで買・・・
あら、券売機の電気が消えてるわ。
もう終電が行っちゃったみたい」
「ちぇっ!オレの運もここまでってわけか」
「仕方がないわね。ジョニーのお店に戻って
始発を待つことにしましょ」
ふたりが踵を返し元来た道を引き返そうとした時、
四方から強烈なライトがふたりに当たった。
「片桐善太さんだね。荷物をゆっくり床に置いて
両手を組んで頭の上に乗せなさい。お連れの女性も同様に」
鶴見警察の警部補と巡査部長、
それに警察官20名ほどがふたりをぐるり取り巻いている。
警官はそれぞれ緊張の面持ちで拳銃を構え、
銃口をふたりに向けている。
「オレがなにやったってんだよ!」
「6月7日、午前8時台、弘明寺駅下りホームで
電車を待つムームーを着た女性に接近しいきなり膝カックン。
同じく6月7日午後3時台、鶴見駅上りホームで
下校途中の中学生に対しても、さらには6月10日、
上大岡駅構内の券売機前で切符を買おうとした会社員の男性にも
後ろから不意を突いて膝カックン。ちゃんと被害届が出ているんだ。
もう逃げられんぞ。観念してお縄を頂戴しろ!」
「分かったよぅ!でも彼女は関係ねぇ!
今日飲み屋でばったり出会って一緒にいただけだ。
ウチへ帰らせてやってくれ」
「関係がないかどうかはこれから署で調べればわかること。
さあ、ふたりともおとなしく両手を頭の上に!」
「彼女は関係ねぇって言ってるだろ!
お前ら日本語が通じねぇのか?」
そう怒鳴りながら片桐善太は警官のひとりに向かって
かぶっていた金髪のカツラを取って投げつけると
ふたりを取り巻く警官の輪がいびつに変形した。
「抵抗すると引き金を引くことになる。
おとなしく言われた通りに・・・」
拡声機から出た警部補の声は
いたずらに片桐善太の耳を刺激し、
興奮させる効果しかもたらさなかった。
片桐善太は警部補に向かって突進する。
同時に葉菜の悲鳴が改札口に響き渡る。
身構えた警察官たちの銃口から一斉に
・・・・ピューッと水が出た。
自分の身体が蜂の巣になったと早合点した片桐善太は
もんどりうちながら倒れたけれど、
当然全身は蜂の巣などではなく、
びしょ濡れになっただけだった。
葉菜は放心したように善太を見つめ、そして床に崩れ落ちた。
しばらくして立ち上がった善太は葉菜を抱き起こしながらこう言った。
「いいオトコはいつだって水が滴っているもんだぜ」

(完)

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