自分への改心のすすめ。
亡者が三途の川を渡って
初めに出会うのがこの奪衣婆様らしい。
奪衣婆は亡者の衣服を剥ぎ取り
剥ぎ取った衣服は縣衣翁の手を借りて
川のほとりに立つ大樹の枝に掛けられる。
衣服には亡者の生前の業が重さで現れ
その枝のしなり具合で
死後の処遇が決められるのだそうです。
生前の業・・・業(カルマ)とは
純粋に行為、所作、意志による身心の活動、
意志による身心の生活を意味する語で、
そこには善悪といったニュアンスは
まったく含まれないらしい。
つまりこの場合の業はおそらく
善業を積めば衣服は軽くなり、
悪業を重ねれば重くなる
ということなのでしょう。
あなたの衣服は軽いですか?
私の衣服は・・・重たいかも(笑)。
「あららぁ!」
私の衣服を剥ぎ取った奪衣婆は、
大樹の枝に掛けるまでもなく
ニヤニヤと含み笑いを浮かべながら
素っ頓狂な声を張り上げて、
「あちらで裁きを受けな!」と。
あちらって・・・どちら?
その笑いはどんな意味?えっ?えっ?
「この先に矢印ボタンのない
エレベータがある。その前で
待っておればドアが勝手に開くから
おまえはそれにただ乗り込めばよい」
いや、いや、いや!それ、マズいっしょ。
乗って下って行ってドアが開いたら
よく来たなって閻魔様が待っていそう。
奪衣婆様、私、三途の川を引き返して、
善業をたんと積んでから戻って来たいです。
「出直したい・・・そういうことか?」
はい!さいでございます。では失礼!
「おい、これこれ!素っ裸で三途の川を
逆渡りする奴があるか!衣服を忘れとるぞ」
あっ、それ、奪衣婆様に差し上げます。
こんなことを考えながら
先日撮った奪衣婆坐像の写真を
じっくり見直していたのでした。
昔の人の想像力って大したもの。
その想像力に説得力をもたせるために
芸術や美術が生まれたんでしょうかね。
しっかし三途の川を引き返すだなんて
私の考えそうなことです。
着せ替え人形じゃあるまいし(笑)。