考えたこと。

”われわれにもスーツはあります”
というタイトルがついた何枚かの写真を
ウクライナ外務省がインスタグラムに投稿。
血に染まった手術服を着た医師、
建物から民間人を救い出す救助隊員
空を守る戦闘機の操縦士、
救急箱を持った医務兵、
爆撃を受けた発電所で働く労働者・・・

インスタのキャプションには
以下のような文言が添えられている。
“何十万人ものウクライナ人が
家と家族を守るために
スマートなオフィス服を軍服に着替えた。
他の人々にとっては日々の服装が
生涯の使命、犠牲、人命救助の象徴となった。
戦火の中、ウクライナのスーツは
様々に見えるかもしれないが、
どれも究極の威厳を持って着用されている。

大統領執務室のあの出来事は極めて不自然であり、
あのような結果に仕向けるための
大国の謀略だったのではという推論は
的を射ているような気がしてならない。
今、人間は間違った方向に進んでいないだろうか。
力があれば約束事や取り決めは無視して構わない、
そんな世の中からは信頼も助け合いの心も生まれない。
かつて日本が東日本大震災の時に
Operation Tomodachi(トモダチ作戦)という
キャンペーンを組んで災害援助および復興・復旧の手を
差し伸べてくれた強い国はどこへいってしまったのか。
本当に強い力からはやさしさと柔らかさが垣間見える。
それをまだ間に合ううちに思い出して欲しい。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

private

前の記事

春の海へ。