空に月が消えた夜。
真夜中にピンポンが鳴って目を覚まし、
いったいこんな時間に誰だろうと
寝ぼけながらドアを開けると
半分の月が玄関の前に浮かんで光っていた。
ぼくは目の前の光景が理解できずに
口を開けたまま固まっている。
すると半分の月は音のない声でこう言った。
「目が痛そうね。私、眩しすぎるかしら?」
「いや、大丈夫。すぐに慣れると思う。
キミは月・・・でしょ?
どうしてぼくの家を訪ねてきたの?」
「あなた寝る前にお酒を飲みながら
ベランダから私を見ていたでしょう」
「あぁ、あれは養命酒だよ。
いつも寝る前にキャップ1杯だけ飲むんだ。
飲みながらなんとなく月を眺めていた」
「私を眺めてどんなことを思ったの?」
「半分の月もなかなか風流だなって」
「満月だったらもっと風流?」
「そうかもしれない」
ぼくがそう答えると半分の月は
くるりと90度回転して満月になった。
「普段はこんなことしないのよ。
でも今夜は特別。
私のこと風流って言ってくれたお礼よ」
ぼくはいま夢の中にいるのだろうと思った。
こんな不思議な夢ならもっと見てもいい。
「もしよかったらちょっと上がっていく?
いま明かりを点けるよ」
「照明はいらないわ」
少し間をおいてふたりは同時に笑った。
2階のリビングルームに向かい合って座ると
部屋の中が片側だけ昼間のように明るい。
「ひとつ質問があるんだけど」
「なに?」
「キミは月なのにどうして太陽光が
ないところで光れるんだろう」
「あぁ、そのこと。
地球人はみんな聞きたがるわ。
答えはカンタンよ。
いまは自分のチカラで光っているの」
「自分のチカラで光ってる?月なのに?」
「そう。ときどき太陽光を浴びすぎて
私オーバーチャージになるの。
そのまま放っておくと爆発しちゃうから
たまに溜まったエネルギーを解放しに
地球までやって来るのよ」
「いまキミが地球にいるということは
夜空に月がないってことになる」
「三日月や満月ならともかく
夜中の2時に半分の月が消えたって
誰も見てないからバレたりしないわ」
「エネルギーを解放しにねぇ・・・
ふーん。えっ?まさかぼくの家で
放電するつもりじゃないよね?」
「迷惑かしら?」
「冗談じゃない!黒焦げになって死にたくないよ」
「まさか!そんなことするわけないじゃない。
あなたの家の中に空のバッテリーはある?」
「そんなこと急に言われても・・・」
「ならこれ、お近づきの印にあげるわ」
半分の月は身体の中から奇妙なものを出した。
「ぅわっ、重!なにこれ?」
「バッテリーよ。かわいいでしょ」
バッテリーは四角や円柱形ではなく
奇妙にも瓢箪そっくりのカタチをしていた。
「いまからそれに充電するからよく見ててね」
半分の月はぼくの答えを待つまでもなく
バッテリーに充電をし始めた。
ミツバチみたいなカタチをした電気の塊が
どんどん瓢箪の中に吸い込まれてていく。
電気がミツバチのカタチをしている?
まぁ夢の中だからそれもありかもしれない。
充電を続けていると月の光は徐々に弱まり
ぼんやりとした普通の月の明るさになった。
普通の明るさに戻ると大小無数のクレーターが
月面に見えるようになった。
アポロ11号の乗組員のオルドリン宇宙飛行士が
立てた星条旗はどこだろうと探していると、
「終わったわ。バッテリーのお尻の方に
電源コンセントが4つ付いているでしょ。
そこから電気を取るといいわ。
ひと月くらいは保つんじゃないかしら」
「電気代が浮くってこと?それは助かる。
ねぇ、ひと月経ったららまた来る?」
半分の月はそれには答えず
「あのカーテンの向こう側がベランダ?」
「そう。ぼくが養命酒を飲みながら
キミを眺めていたところだよ」
「出てみてもいいかしら」
「あぁいいとも」
ぼくはテーブルの上に置いたバッテリーを
壊さないようにそっと床に寝かせ
カーテンと窓を開けて半分の月と一緒に
ベランダに出た。
辺りはしーんと静まり返っている。
当然ながら夜空には寝しなに見た半分の月はない。
あの風流な半分の月はいまはぼくの隣にいて
一緒に夜空を眺めている。
そして横にいる半分の月は満月に見える。
信じられないような不思議な時間だ。
「雲が出始めたわ。そろそろ空に帰らなきゃ」
「また放電しに地球にやって来る?」
ぼくはもう一度聞いてみたけど
半分の月は小さく笑っただけで
やっぱりそれには答えない。
「分かっているかもしれないけど、これは夢よ」
「うん。そうだと思ってた」
「またいつかベランダで養命酒を飲みながら
夜空に半分の月を見つけたら
私のことを思い出してくれる?」
「もちろんさ。それまでに瓢箪型の
バッテリーは空にしておくから
また放電しに来るといい」
それから半分の月は一度だけ強く輝いてから
夜空の中に溶けていった。
ぼくは窓とカーテンを閉めベッドに戻って
横になるとすぐに眠ってしまった。
朝起きてリビングルームに行く。
床に置いた瓢箪型のバッテリーは消えていた。
ぼくは”やっぱりなぁ”と思って
深くため息をついた。