秋の気持ち。
今朝は雲ひとつない宇宙丸見えの
真っ青な空がどこまでも広がっていました。
ですがこの景色を眺めるためには
クネクネした坂道と長く急峻な石段を
登り切らなければなりません。
私はもっとやさしいコースを
散歩しようと提案するのですが
フレディは私のことなどおかまいなしに
自分の行きたいコースをズンズンと(笑)。
まぁ真夏とは違いますから
私だって引っ張られれば渋々でも登ります。
で、頂からこの青い空に目が触れると
不思議なことに登ってきた時の
疲れが一気に消えていくんですよ。
(呼吸は乱れたままですけどね)
今朝は写真中央やや右の小高い丘の左側に
頂上が雪に覆われた富士山が見えました。
秋の空をしばらく眺めていると
少しだけ寂しさが込み上げてきます。
それは悲しみとか孤独のような寂しさではなく
ん~なんだろう、心の中の色が抜けて
徐々に透明になっていくような
そんな種類の寂しさのことです。
前にもどこかに書いたと思うんですが、
私、こういう寂しさって嫌いじゃないんです。
先日そのことを友だちに話したら
「それ、分かる」って言ってました。
香川大学医学部・臨床心理学科の
竹森元彦教授によるとそれは
季節による特性が関係していることが
ひとつの要因として考えられるらしい。
春や夏に比べて秋は身体的にも
精神的にも刺激が弱まって
その刺激の少なさが喪失感となって
心に”余白”を作ってしまうからで、
そのできてた余白を埋めるために
私たちの気持ちが芸術やスポーツ、
読書といったものへと無意識に
向かわせるのではないかと。
考えてみればそうかも知れない。
もしかしたら私の言う透明感と
教授の指摘されている喪失感は
同じものなのかもしれません。
だけど芸術やスポーツ、読書などで
埋めたくない寂しさもあるような気もします。