漂白の旅へ。

想像を絶するほどの環境下に身を置くと
 頭の中のどこかに異変をきたし、
 人生観までもが大きく変わってしまう。
 そういうことなのだと思います。
“ある程度の時間をサハラ砂漠で
 過ごしてしまったら、
 けっして元の自分には戻れない”
 孤独の洗礼(ポール・ボウルズ)
これはひとつの構文として
 成り立つような気がします。
 [地獄のような戦場に一度でも
 足を踏み入れてしまったら
 もう元の自分には戻れない]
 [身を焦がすような本物の恋に
 一度でも落ちてしまったら
 もう元の自分には戻れない]
ね?
 考えてみれば、人は生きていく上で
 経験したことのない出来事に遭遇し、
 それを切り抜けていくたびに
 元の自分から新しい自分に変わっていく。
 そんな生き物なのかも知れません。
 驚くような経験は人をがらりと
 変えてしまう力を孕んでいる。
 つまり“自分らしさ“はそのたびに
 更新されていくということなのでしょう。
 どうせ変わっていくものなら
 素敵な経験をいっぱいしながら
 さらに素敵な自分に変わっていきたい。
 だけどそうは簡単に問屋が卸しませんね。
 経験を選ぶなんてことはできないからです。
 先生に叱られては船底にぽっかり穴が開き、
 異性にフラれても船底に穴が開き、
 人に裏切られてもやっぱり船底に穴が開く。
 大きな穴、小さな穴。
 そのたびに水を汲み出し継を当てながら
 辛うじて海の上に浮かんでる船。
 その船の上でくだらない航海日誌を
 付けているのが、つまり、私です。
 駆動は風任せ、運任せなんですが
 いちおう夢とか目標とかはあるんですよ、
 こんな私にだってね。
 あっ、また浸水しているみたい。


