満月の夜に(Chapter_03)

視線の先に眩しいほどに輝く満月が見える。
どうやらぼくは今仰向けに倒れているらしい。
意識がはっきりするまで横たわったまま
息を潜めて耳を澄ましていると
気を失う前の記憶が脛の痛さとともに
じわじわ蘇りはっとして上半身を起こす。
ときどき聞こえていた梟の鳴き声が
今はまったく聞こえない。
そして自分の顔に手を当てると
あの恐ろしいマスクは顔から外れて
無表情のまま足元に転がっていた。
ぼくはズキズキ痛む脛をさすりながら
これは現実に起こっていることじゃないな、
時空に歪みが生じてぼくはどこか別の世界に
迷い込んでしまったに違いないと思った。
いったいぼくはこの薄気味悪い森に
どうやって入って来たのだろう。
意識が戻ってもぼくは混乱していた。

「それ、早く拾ったほうがいいと思う」
不意に背後で人の声がしたので
驚いて振り向くと狐のマスクを付けた
小柄な人物が立っていた。
声と外見からすると女性のようだった。
「あなたは・・・誰?」
「私の名前を聞いているのなら
この森の中では無意味だと思う。
”これ”は一夜限りのことだから」
一夜限り・・・
ぼくは彼女の言葉を頭の中で反芻した。
ということはこの月夜の森の世界は
朝が来ることですべて消える・・・
ぼくはいま夢の中にいるのだろうか。
そう考えて強引に自分を納得させようと
試みてみたけれど、ここが夢の中だとは
とても思えない、リアリティがありすぎる。
カラマツ、自販機、マスク、脛の痛み、
それに目の前に立っている女性・・・
ぼくの前に立っているこの人は
いったいどこからやって来たのだろうか。
なぜマスクで顔を隠している?
「名前を名乗らないなんて絶対に怪しいし、
いま自分が夢の中なんて信じられない、
あなた、そう思っているでしょう。
いいわ、私の名前はエマ。
ただし本当の名前じゃないわ」
なにか名前を明かさない特別な理由でも
あるのだろうか。
「それじゃ私も聞くわね?あなたは?」
「ぼくは・・・」そう言ったあとで
あれっと思って言葉が詰まってしまった。
自分の名前が出てこないのだ。
いや、名前ばかりじゃなくぼくの
すべての記憶が消滅してしまっている。
どういうこと?
「私の名前が仮名ということの意味が
どうやら分かったみたいね。
この森の中に足を踏み入れた途端、
過去は存在しなくなるの。私もそう。
あなただけじゃないわ。
でもここから抜け出したら
ちゃんと記憶は戻る。それだけのことよ」
彼女はそう説明しながら
マスクに開いたふたつのアイホールから
なにかに警戒するような眼を周囲に向けて
きょろきょろさせていた。

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