未完の約束について。

”約束”というものは
他者と自らの間における取り決めです。
それが守られ果たされるということを
前提にし信じている限りぼくたちは
それが実現するのを待ち続けられるし、
果たそうと努力し続けることもできる。
作家 小川洋子氏は彫刻家 船越桂氏の
”私の中のスフィンクス”という本に
寄稿した文章の中で以下のように書いている。

”約束ができるからこそ私たちは、
その人の不在を受け入れることもできる。
約束は、無、に存在を与える。
それは錯覚でも幻でもない。
無という広大な宇宙は、そんな安っぽい
誤魔化しなどに惑わされたりしない。
もっとしなやかで奥深いのだ。
ここにいない誰かの無事を祈って、歌をうたう。
言葉でその人の細部を描写し、記憶を掘り起こす。
木や金属や紙や布で、姿を浮き彫りにする。
私たちはたぶん、熱帯雨林からサバンナに出て、
二本足で歩くようになった遠い昔から、
自分なりのやり方で、繰り返し繰り返し、
大切な人の不在に耐えてきたのだろう。
(中略)
今、目の前にいない誰かのことこそ、
人々は大事に考える。
手で触れたり、微笑を返したりできない
誰かについて思いを寄せる時、
自分が自分の心のずっと深いところまで
降りているのを感じる。
そのしんとした世界で耳を澄ませ、
ゆっくりまぶたを開けると、
見えないはずの形が目の前に
浮かび上がっている。” と。

死別してしまった家族や
会えない人たちとの果たせていない約束。
たとえそれらが未完のまま永遠の海に
漂い続けるとしてもそうした人たちとの
約束を固く信じ忘れずにいる限り、
いつまでもぼくの胸の中の静かな場所に
存在しているような気がするのです。

※冒頭の写真は船越桂氏の彫刻”雪の上の影”。

 

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