必要な時間。

坐禅を組んで瞑想している時と
無心になって絵を描いている時って
どちらも集中しているのだけれど、
使っているのはまったく違う集中力だと
坐禅を組んでも絵を描いてもいない時に
はたと気づきました。
上手く表現しづらいのですが
坐禅している時は執着から離れて
開け渡してしまうような集中力が、
絵を描いている時はがむしゃらに
入り込んでいくような集中力が、
ぼくの場合、必要になってくるんです。
集中は、しなければならないものではなく
知らない間にしてしまっているもの。
だから自分がいま集中しているということを
自分では分からない。
アラームが鳴って目を開いた時、
鉛筆や絵の具をそっと手から離した時、
そこで初めて気づくんです、
あぁ、自分はいま集中していたのだと。
何も考えないことに夢中になる、
ひたすら追い求めることに夢中になる、
両者はそんな違いなのかもしれない。
あっ、なんか道を極めた人みたいな
大仰な表現になっちゃいましたけど、
ほかの表現が見つからないので
とりあえず思った通りに書きました。
もちろん全然集中できない日もあります。
いや、むしろ気持ちが散漫な時のほうが
圧倒的に多いです。
でもそれはそれで仕方のないこと。
そういう時はあきらめてフレディと
散歩に出たり料理の本を眺めたりします。
散歩に出るとフレディは散歩そのものを
まるっと心ゆくまで楽しんでいるみたい。
そんなに簡単に散歩に集中できるなんて
羨ましすぎて笑ってしまいます。

※人物のデッサンってチョーむずい!
たった一本の線が微妙に狂っただけで
なんでこんな絵になるんだろうって(笑)。
陰影の付け方も細部の描き方も雑!
だけど描いたものは残しておきたい。
後になって振り返った時に笑えるように。

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