奇妙で恐ろしい夢。
どこか分からない。
新興住宅地の入りくんだ場所に
誰も住んでいない一軒家があり、
ぼくはその家で働くことになっている。
奇妙なのはその勤務時間帯と場所。
夜の7時から翌朝6時まで、
そんな時間に一軒家の中でやる仕事って
いったいなんだろう。
ぼくはなにか交通事情のトラブルで
普段より遅く駅に到着したものの、
新興住宅地の中を懸命に走ったことで
なんとか19時ギリでその家に到着した。
だけど周りはしーんと静まり返っていて
家の中は真っ暗、人の気配も感じない。
あれ?まだ誰も出勤していないのかな。
玄関のドアノブを回してみても
カギがかかったままだったので
ポケットからキーホルダーを取り出して
キーを探し鍵穴に差し込もうとした。
そのとき家の中から微かにピアノの音が
漏れていることに気づいた。
それは何かの曲の旋律などではなく
ポツンポツンとひとつひとつの鍵盤を
1本の指で試しに叩いているような感じ。
誰かいるの?ドア越しに声を上げたら、
コオロギが人の気配を感じてピタリと
鳴き止むみたいにピアノの音が止んだ。
なんなんだろう、ちょっと気味悪いな。
カチャ。ぼくは恐る恐るドアを開けた。
すると暗くてよく見えないのだけれど
玄関の上がり框に朱色の小さなピアノが
ポツンと置かれていた。
誰かが家の中にいる様子はない。
いったい誰が弾いていたのだろう。
とにかく玄関の照明を点けようと
スイッチに手を伸ばした瞬間
ものすごく大きなガシャリ音が聞こえた。
このピアノが叩き出したのだ。
照明なんか点けたらただじゃおかないぞ!
そんな威嚇を感じるような音。
そしてピアノは眩く光り出し
廊下を奥に向かって滑るように動いた。
ピアノはそのまま廊下の突き当たりまで進み
そこで止まったようだった。
ピアノから発せられるその光が
突き当たりの部屋のドアを浮かび上がらせ
まるでここに来いと導いてるかのよう。
朱色のドア・・・怖い。すごく怖い。
だけどぼくの足は別の人の意志に
操られているみたいに
抵抗もできずにドアに向かって歩き始めた。
背後で玄関の扉が閉まる音が聞こえる。
ドアの前まで来るともうピアノはなかった。
今度は朱色のドア自体が蛍光塗料に
塗られているようにぼんやり光っている。
ぼくを部屋の中に誘っているのだ。
ほどなくしてすっとドアが開くと
目を疑うような奇妙な光景が目に飛び込む。
部屋は12畳くらいの畳敷の和室で
真ん中に人間の背丈くらいの鳥居がある。
そしてその鳥居を囲むように
コの字型にお膳が並べられていて
そこに和服姿の女性が10人くらい
下を向いたまま正座している。
その光景を見た途端ぼくはぞっとして
思わず手に持っていたキーホルダーを
落としてしまった。
するとその音に反応したのか
彼女たちが顔を上げ一斉にぼくを見た。
彼女たちの目が光ってる。
どのくらいの沈黙があっただろうか
ぼくは顔を引き攣らせながら声を出す。
「あなた方は誰?ここで何を?」
やっと絞り出したぼくの声は掠れていた。
自分の心臓の音がはっきりと聞こえる。
奥の真ん中に座っている女性が
なにやら左隣の女性に耳打ちする。
・・・・・聞き取れない。
左隣の女性が薄っすら微笑みながら頷く。
ぼくの唇と手と足がプルプル震える。
それが恐怖からくるものなのか
怒りからくるものなのか分からない。
ものすごい殺気を感じる。
ぼくはドアを右足で力一杯蹴って閉め、
玄関に向かって廊下を走り出した。
今度はちゃんと自分の意思を持った足だ。
背中越しにドアが開く音が聞こえ、
女性たちが立ち上がる気配を感じた。
追ってくるのだろうか。
突然ぼくの右足の甲に激しい痛みを感じ、
なにか固いものとぶつかる音がした。
何かと思って足元に目を落とすと
そこにはあのピアノが置いてあった。
ぼくは怒りと凄まじい興奮のあまり
ピアノを持ち上げ和室の中に投げ入れた。
色々な音階の音が一斉に鳴る。
たぶんピアノはバラバラに壊れたのだ。
それでいい!それでいい!それでいい!
そう呟きながらぼくは玄関を出た。
暗く寂しく細い坂道を下っていく途中
ぼくはポケットに手を突っ込んで
大変なことに気づいた。
キーホルダーがないのだ。
あのキーホルダーには自宅の鍵が付いている。
だけどあの恐ろしい家に戻るのは絶対に嫌だ。
戻ったらもう二度と出て来れない気がする。
どうしたらいいか分からない。
とりあえず朝が来るのを待とう。
あの家から遠く離れた公園のベンチに
腰掛けるとほっとしたのか睡魔に襲われ
いつしか眠ってしまった。
目が覚めたら見慣れた部屋のベッドの中。
激しい寝汗をかき呼吸が荒い。
スマホで時間を確かめたら3時24分。
・・・・マジか。