大切な感覚。

さみしがりやって
どういう人のことなんですかね。
さみしがる・・・
さみしがることが・・・好きな人?
それとも反対に嫌いな人?
さみしいと感じていることを
誰かに分かって欲しい人?
ひとりでいることが苦手な人?
些細なことでもさみしいと感じてしまう人?
私はどれにも該当しないと思うので
たぶんさみしがりやではない。
もちろんさみしいと感じることはあります。
ポコンと空いてしまった気持ちの空白を
無意識に埋めたくなるような感覚。
たとえば夏の日の夕方、森の中から
聞こえてくるヒグラシの鳴き声なんかは
さみしい気持ちを連れてきたりしますよね。
私はさみしさが好きでも嫌いでもなく、
さみしいと感じることがなければ
楽しいと感じることもないと思うので、
とりあえずそういう気持ちを
大切にしたいと思っています。
私の場合、空いてしまった空白を
埋めるために想像力が働くのかも知れない。
自分がもしヒグラシに生まれてきたら
美しいメスを呼び寄せるために
どんなふうに鳴くだろうとか
そんなことではありませんよ。
いや、そういう想像力だって
ときには必要かも知れませんが
今はもっと違う種類の想像力を
例に挙げて説明したいのですが、
ん〜、これがなかなか出てこない(笑)。
今度さみしさを感じているときにでも
説明を試みたいと思います。はい。

マーガレットは内に秘めたさみしさを
悟られないように鮮やかな色をしている。
ねぇ、そうなんでしょ?

・・・ちがうわ。

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