夢だってば!
前兆はあった
徐々に強まる風雨に
海面がざわめき始めた
日の暮れた海は
次第に波頭を踊らせ
仄かに見える水平線を
不鮮明にしてゆく
やがて深い夜の海
私は嵐の中にいた
息を飲むような波
それが山になり
谷を作っては
私を激しく翻弄した
混乱の中で私の手が
なにかを探している
陸地なのか光なのか
巨大な力の前に
私はなすすべがない
うねりの狭間で
激しく揉まれていると
私の左手が一瞬
なにかに触れた
そしてもう一度
ほら、さらにまた
暗闇に目を凝らすと
背びれが見えた
それはイルカだった
私が無我夢中で
それにつかまり
必死に背中に乗ると
イルカは海を飛び出し
空中を泳ぎ始めた
イルカのつるりとした肌で
私は何度も落ちそうになった
その度にイルカは
私の体勢を整えてくれた
眼下では波がうねっている
そのうねりを見ながら
私は安心の中で睡魔に襲われ
抗しきれず目を閉じた
どのくらい時が過ぎたか
目が覚めると嵐は去り
雲間から下弦の月
イルカのやさしく
尖ったくちばしが
濡れて光って美しい
私は声の言葉を諦め
背中に感謝のキスをした
イルカは私をどこへ
運ぼうとしているのか
湿度のない南風のような
心地いい空気の中にいる
行き先などどうでもいい
もうしばらくこの夜空を
イルカと共に飛んでいたい
月の美しい歌声
風の穏やかな旋律
もしかしたら
このひと時を味わうために
あの嵐があったのではないか
水平線がぼんやり
明るくなってきた
まもなく夜が明ける
***************
「ねぇロバート、イルカって誰?」
「誰って、イルカはイルカだよ。
強いて言えばバンドウさん」
「坂東さん・・・
ファーストネームを言いなさいよ」
「・・・イルカ」
「んー、もう!あたしが
ロバートを救い出したかったわ」
「ジュリア、気持ちはすっごく嬉しいよ。
でもこれは夢だから」
「・・・怖かった?」
「嵐に揉まれている時はね」
「必死だったのね」
「夢の中では、ね」
「でもよかったじゃない、
坂東さんに出会えて」
「いや、出会ったというより
溺れる者はヒレをも掴む、だよ」
「空まで飛んだくせに!」
「ジュリア、バンドウさんはイルカで
嵐も背ビレも空中遊泳もぜーんぶ夢だから。
他に意味はないよ。
・・・でも本当のことを言うとさ」
「ホントのことを言うと?」
「夢の中にいる時
ずっと歌声が聞こえていたんだ。
初めて耳にする美しい旋律、
今思うとその歌声は
ジュリアだったような気がする」
「私の歌声?私の歌声がロバートを
安心させていたの?」
「今こうやって話をしていてぴーんときた。
紛れもなくあれはジュリアの歌声だった。
ひょっとしたらあのイルカは
ジュリアの化身だったかも知れない」
「だとしたら素敵な夢ね。
私はロバートを救った”坂東ジュリアン”」
「なんだか天正遣欧使節団の
メンバーにいそうな名前だね」
「人命救助というミッションを受けた
海のマドンナとは私のことよ。
特別に歌まで歌ってあげたんだから
ロバート、私に感謝しなさい」
チュッ!
「・・・永遠の感謝ね。素敵。
・・・で、イルカって誰よ」