呼び込み。

家の近所に内科クリニックが新しくできた。
不思議なことにそのクリニックの脇に
同じタイミングで新しい”道”も作られていた。
新しい道?クリニックの私道なのか、
どこにつながっているのだろう。
幅は人と人がやっとすれ違えるほどに細く、
クリニックの建物の影になって薄暗い。
5メートル先くらいまでは見通せるのだけれど、
その奥は右に折れていて見えない。
普通に考えれば野球部だった山形君の
家がある小町通りに通じているはずなのに、
小町通り側からはそれに該当する道はない。
たぶん袋小路にでもなっているのだろう。

先日、有隣堂でスケッチブックを買った帰りに
クリニックの前を通りかかった際、
その薄暗い”道”の奥に人の形をした
ぼんやり光るものが目に入り
ぼくはギョッとして足を止めた。
凝視するとその人形(ひとがた)が
ぼくを手招きしているのだ。
「えっ?」
ぼくは恐怖心と好奇心が
入り混じったような気持ちで身構えた。
その人形がさらに手招きを続けると
ぼくの足は魔法にでもかかったように
鼓動が早くなるのを感じながら
すーっと人形に吸い寄せられていった。

握手できるくらいまで近づくと
その人形はシルエットから
女性であることまでは分かったけれど
眩しすぎて顔ははっきりとは見えない。
ぼくが眉間に皺を寄せて
目を細めていると女性は
身体のどこかのスイッチを押したのか
光はゆっくりと消えていった。
女性は白いプレーンなTシャツに
ETROのフレアジーンズを履いていた。
「どう?これなら眩しくないでしょ。
私が誰だか分かる?」
「秘密結社に雇われたエスパー」
「なにそれ。・・・これなら?」
周りの空気が突然揺れて
背中から翼のようなものが現れた。
不意の出来事にぼくはびっくりして後退りした。
「せ、せ、成人した天使」
「惜しい!正解を知りたい?」
どう答えたらいいか分からずぼくが黙っていると
「研修期間中のキューピッドよ。
天使とキューピッドは同じように
翼があるからよく人間たちから
混同されて困っちゃうんだけど
両者はまったくの別物なの。
どうやって見分けるか分かる?」
「分からない」
「天使はリュートとか琴とかラッパとか、
とにかく楽器を持っている場合が多いわね。
私たちキューピッドは弓矢、矢は二種類。
黄金の矢と鉛の矢よ」
「キミはキューピッドなんでしょ?
なのにその手に持っているのって
弓矢・・・じゃないよね?」
「ああこれはタモ網。これで受け止めるのよ」
「受け止めるってなにを?」
「黒焦げになったハートをよ」
「黒焦げになったハート?」
「そ。人間たちは恋をすると燃え上がって
空高く昇っていくわ。素敵なことね。
でもなんにでも終わりがあるように
そのうち恋も破局を迎えるわ。
破局を迎えたハートは黒焦げになって
空から降ってくるの。
それを受け止めるためのタモ網がこれ」
「受け止められなかったハートはどうなるの?」
「地面に激突してボーン」
「あのさ、さっきからそれらしい音が
奥の方で頻繁に聞こえるんだけど、あれ、
ハートが粉々になる音なんじゃないの?」
「あー、そうよ。でも今は休み時間。
年がら年中働いていたら身がもたないわ。
あなただって息抜き、必要でしょ?」
「でもさ、キャッチし損なったら
その人たちってどうなるんだろう」
「もう恋愛はできないわね」
「あのさ、悪いこと言わないよ。
今すぐ働いたほうがいいよ」
「あなたって顔に似合わず真面目なのね。
でも大丈夫よ。ボーンしたハートは
もうひとりの相方が粉々になった
ハートのかけらを集めて
瞬間接着剤で元通りにするから」
「分業ってわけか。
キミはどうしてキューピッドなのに
弓矢じゃなくタモ網なの?」
「研修期間中だからよ。さっき言ったでしょ」
「じゃあその研修期間が終わったら
正式なキューピッドになれるんだ」
「そうよ。そのために昼夜を問わず
不眠不休で頑張ってるわ」
「ぼくにはそれほど頑張ってる
ふうには見えないんだけど」
「あなたにはそう見えるだけ!
研修期間が終わると本部長が
ピンク色したお酒を振る舞ってくれるの。
それを飲むと私たちは背が縮んで
あなたたち人間がよく知っているような
赤ちゃんみたいな体型に変わるの。
美しい弓矢もその時にもらえるわ」
「キューピッドの世界が
そんなふうになっていたとは」
「知らなかったでしょ。
こっちに来て。ほらこれが恋愛墓場よ」
「うわーっ、すっげー広いじゃん」
「すぐそこに4つ並べてあるのが
あなたの幼馴染みの山形さんのハート。
一途な想いが伝わってきそうな黒焦げぶりね」
「そ、そ、それってプライバシーの侵害じゃない」
「そうだったわ。内緒にしておいてちょうだい。
あなたのもあるわよ。見たい?」
「見たくない」
「12個くらいあったかな。
ちゃんと一等地に置いてあるのに」
「ぼくは過去には興味ないんだ。
それよりこれからの出会いについて
知りたくてたまらなくなってきた」
「いつ恋に落ちるかはキューピッド次第ね。
だけど今の私には弓矢がないの。
残念だけど。分かるでしょ?」
「分かったよ。いつ落ちるかが
分かっちゃったらつまらないかも
知れないもんね。
で、今日ぼくを呼び止めたのはどうして?
なにかぼくに頼み事でもあったの?」
「そうじゃないわ。
あなた、歩いているとき猫背になっていたわ。
顔にむくみもあるような感じだし・・・
一度内科を受診してみたほうが
いいんじゃないかと思って声をかけたの。
自覚症状はない?」
「そう言われてみれば・・・
顔のむくみは太り過ぎかと思ってるんだけど」
「手遅れにならない早いうちに
ちゃんと調べておいたほうがいいわ」
「内科かぁ。かかりつけの先生って
いないからなぁ」
「町の噂ではここの内科の先生って
すごくよく診てくれるって評判よ」
「あ、そうなんだ。
じゃあちょっと寄って行くかな」
「そうすべきよ。健康体でしたいでしょ?恋愛」
「まあね。あっ、でも健康保険証は家なんだ」
「マイナンバーカードは持ってる?」
「あ、うん」
「それなら大丈夫よ。少しだけ待って。
すぐに衣装を脱いでエントランスのドアを開けるから」

※クリスマスだというのに、
あんまり暇だからまたくだらないことを
書いてしまいました。失礼!

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