内側深く。

坐禅を組んで瞑想をする。

日常にそういう時間を取り入れたことで

ぼくの何かがいい方向に向かっているのか?

少しは穏やかに暮らせているのか?

落ち着いた人間に進化しているのか?

柔らかく忍耐強い心を養えているのか?

たかだか数ヵ月やっただけで

何かが劇的に変化することなどあり得ない。

もうひとりの自分にそう諭されても

坐禅の効果をまったく感じられなければ

ちょっと待てよ、って思いたくなる。

劇的な変化なんて期待していない。

そんなことはじゅうぶん分かっている。

だけど、なんて言うかなぁ・・・

せめて兆候みたいなものだけでも

表れてくれたら励みになると思うんですよ。

いい方向に向かっている感が欲しい。

気持ちは分かるけど焦らないほうがいい。

そもそも坐禅は結果を求めるものじゃない。

瞑想している時間は意識を自分の内側に

向けることで何かが変わっているはずさ。

瞑想している時間・・・

確かにその時間だけは無になろうと、

ってか、何も考えないようにって思ってる。

つまりその時間はキミ自身が変化している、

そう思うことはできないだろうか。

その時間がなければキミの意識は

ずっと外側を向いていることになるだろ?

そうか!1日の中にそういう時間があれば

たとえ大きな変化は感じなくても

気持ちを切り替えるきっかけにはなるかも。

だろ?それが分かれば続けてみるのも

悪くないんじゃないか?

瞑想によってぼくは変われるだろうか。

・・・さあ。

あっ、また!さあってなにさ、さあって。

※ここのところ、大岡川にチヌ(黒鯛)が

わんさか泳いでいます。

川壁に張り付いた岩牡蠣を美味しそうに

食べていました。

釣り人たちの垂涎の的のはずのチヌを

こんなにたくさん見てしまうと

なんだか有り難みがなくなってしまいそう。

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