光景と記憶。
たとえば
晩春の雨上がりの早朝、
しっとり濡れた紫陽花の葉の上の雫に
朝陽が当たって眩く光るのを目にした時
忘れていた遠い昔の記憶が蘇ってきたり、
たとえば
気怠い真夏の昼下がり、
どこからか聞こえてくる風鈴の鈴音に
忘れていた漁村の風景を思い出したり・・・
光景と記憶・・・
両者に関連するものなんて何もないのに
偶然出会った光景や出来事が引き金になって
過去の記憶が思い出されることがあります。
その思い出された光景や出来事は
特別な出来事でも印象深い思い出でもなく
本当に何気なく撮ったスナップ写真のような
記憶だったりします。
私は以前に別のブログに
Blackの”Wonderful Life”という曲を聴くと
よく晴れた日曜日の昼下がりの
誰もいないひっそりとしたダムの畔に
佇む自分を思い浮かべてしまうと
書いたことがあります。
その思い出すダムは2箇所です。
ひとつは学生時代に行った長野の菅平ダム、
もうひとつは30代のころ
仕事で訪れたネバダ州のフーバーダム。
どちらのダムも曲との関連性はありません。
もしかしたら私は私の感じる”寂しさ”を
このふたつのダムの風景とBlackの曲に
無意識に重ね合わせているのかも知れない。
晴れ渡っている美しい風景なのに
誰ひとり周りにいない寂しさ。
だけど不思議なことにそういう寂しさを
感じている時ってなんとなく心地いいんです。
・・・ヘンな投稿ですね(笑)。
※写真はフーバーダム。