仲間のしるし。

悲しい気持ちのときは涙が出る。
嬉しい気持ちのときや
可笑しい気持ちのときも出るけれど、
それらは悲しい気持ちのときの涙ほど
長くは続かないし尾も引かない。
その長く悲しい気持ちのときを
やり過ごすのに泣いて耐えること以外
方法がないからだろう。

悲しい涙を流す仲間を見たら
力になってあげたいと思うのは
自然な気持ちなのだろうけれど、
ひとりになることを望んでいなければ
寄り添ってあげることくらいしかできない。
ちょっと近くない?と言われない程度の
距離から気持ちをひとつにしようと
寄り添ってみるのだ。
それでも気持ちをひとつにすることなんて
できるわけがないことは知ってる。
だけど泣くこと以外できないと
思っている仲間と同じようにぼくも
やっぱり寄り添うこと以外できない気がする。
悲しい気持ちの仲間が顔を上げて
気持ちを切り替えて何か話したくなったら
いつでも聞いてあげられる、
そんな距離にいれば悲しみのときを
ほんの少し短くしてあげられるかもしれない。
泣くことで気持ちが楽になる、
話すことで気持ちが整理できる、
人間がそんなふうにできているなら
寄り添うことは悪いことじゃない。

※母親のほうを一心に見つめる子どもたち。
若い向日葵の花は太陽を追いかけるように
朝は東を向き夕方には西を向く。
そして夜明け前、ふたたび東を向くらしい。

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