ダンスを踊った後に。

“それはもう時間の問題だね”

なんの前触れもない真っ白な空間に
突然この一文が浮かび上がる
単なる文字だから抑揚もなく
発信者が男か女かも分からない
どういうこと?
どこに向かってる?
良いほうに?
それとも悪いほうに?

「良いほうに決まってるわ。
状況がまったく分からないけど
たぶん何かが解決に向かって
動き始めたのよ。そんな気がする、
きっとそうだわ」
「ジュリア、どうしてそう思うの?」
「だってそうじゃないほうに
向かってるって考えたら
ハッピーな気持ちになれないもの」
「ポジティブシンキングだね」
「ロバートはどう思うの?」
「乗ってる豪華客船の船底に
鋼鉄の歯を持つネズミが2匹いる」
「ロバート、その先は説明しなくて結構よ。
そのネズミたちが船底を齧って
穴を開けるのよね?
船が沈むのは時間の問題だと」
「ジュリアは相変わらず慌てん坊だね。
話の行き先はそこじゃないんだ。
2匹のネズミはタロウとハナコといって
恋人同士なんだ。
彼らは港湾倉庫の片隅に暮らしてる。
だけど倉庫の中に備蓄した食べ物が
とうとう底をついてしまった。
このままだとふたりとも飢え死にする。
そんな時に目が止まったのが
港に停泊していた豪華客船。
あそこに忍び込めば食べ物にありつける」
「それで?」
「ふたりはなんとか船底に潜り込むと
船はそのまま出航してしまった。
だけど彼らの意に反して
船底に食べ物なんてかけらもなかった。
仕方ないとタロウはハナコに
”ボクを食べてもいいよ”と身体を差し出す。
”それじゃ遠慮なく”とハナコが
鋼鉄の歯を剥き出したとき、
ふとタロウの肩越しに小さな
洗面コーナーが見えたんだ。
そこでハナコは指パッチンしてこう言った。
”そうだわ!あそこで身体を洗って
身ぎれいにすればなんとかなるかも。
ついでに手拭きタオルで身を包んだら
思い切ってデッキに出てみるの”
”出てどうするのさ。
問答無用で海の中に捨てられちゃうよ”
”そうなったらそうなったで仕方ないわ。
このままじゃどうにもならないもの。
一か八か人間たちに私たちの
ダンスを見せてみましょうよ。
とびきり可愛らしくね。
もしかしたらそれを見た人間たちが
食べ物をプレゼントしてくれるかも知れない”
”ボク、そんなふうに人間の前で
可愛らしく踊るなんて嫌だよ”
”タロウのバカ!なにカッコつけてるのよ!
このまま船底で死んでもいいの?”

「ハナコは尻込みするタロウを諭し
勇気を振り絞ってデッキに出て
ふたりでダンスを踊り始めたんだ」
「いざとなったら女の方が強いのね。
それからどんな展開になるの?」
「デッキでオクラホマミキサーを
口笛を吹きながら踊り始めたんだ。
それを最初に見たのは
パナマ帽をかぶった30がらみの紳士だった。
たまたま夜風にあたろうとデッキに出たら
どこからか口笛が聞こえてきたんだ。
紳士がそのほうに行ってみると、
なんとネズミが2匹一所懸命に
ダンスを踊っているではないか!」

”あのやさしそうな紳士は
きっと私たちに食べ物をくれるわ”
”ボクもそんな気がしてきた。
このまましばらく踊ってみよう”
「ふたりはアイコンタクトで話し合った」
”ねぇキミたちはネズミなのに
踊ることができるんだね。口笛まで吹いて。
わたしを楽しませてくれているのかね”
「紳士がなにを喋っているのか
ネズミたちには分からなかった。
でも危険な匂いも感じなかったし、
意地悪な顔もしていなかった。
タロウとハナコが踊り終わると
紳士は満面の微笑みで拍手した後
膝を折ってポケットにあった
クラッカーを何枚か床に置いた」
「よかったじゃない、
親切な紳士にめぐり逢えて」
「うん。タロウとハナコは
深々と頭を下げてからそのクラッカーを
仲良く分け合って食べたんだけど、
その一所懸命なダンスの踊り方も
仲良くクラッカーを食べる仕草も
紳士はいたく気に入ったみたいで
彼らを自分の船室に招き入れたんだ。
そしてカバンの中から急いで
スケッチブックを取り出し彼らをモデルに
何枚ものクロッキー(素描)を描いた。
ただし鋼鉄の前歯は人間のような並びに変えて。
そして描き終えた1枚を繁々と眺めながら
一言こう言った。『これはいい!』」
「その紳士ってもしかしたら
ウォルト・ディズニーのことなのかしら?」
「違うよ。全部ぼくの想像の中のことさ」
「嫌われ者のネズミを描くなんて
ずいぶん変わった紳士ね。ってか、
ロバート自身がとっても変わっているものね」
「だけど描き終えたその絵を見た人たちは
不思議なことに誰もが幸せな気持ちになった。
それを知った紳士は確信したんだ。
これからはこのネズミが主役になる、
それはもう時間の問題だな。ってわけさ!」

「ずいぶん時間のかかる想像力ですこと。
わたし、お腹が空いちゃったわ。
なにか食べに行きましょうよ」
「じゃあ、ふたり仲良く船底に潜り込もうか」
「ロバート、わたしをひもじい目に合わせたら
遠慮なく丸焼きにして食べてあげるわね」
「ヒェ〜〜〜〜!」

※4月8日、お釈迦さまの生誕を祝う
花祭りが終わった翌々日、
常照寺の石段脇に”ご自由にお持ちください”
と書かれた紙の前に置かれていたマリーゴールド。
今は薄陽のさす出窓に飾らせてもらっています。

おしまい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

gooblog

前の記事

ニューな私に。
gooblog

次の記事

雨の日の仕事場。