気持ちに従う。

男が泣いていいのは3度まで。
子どもの頃、母親からそう聞かされたのか、
絵本かなにかで読んだのか、
もうすっかり忘れてしまった。
母親から聞かされていたのだとしたら
母親から見て私はずいぶん
泣き虫だったのかも知れない。
成長するにつれ(たぶん中学生くらいまでで)
もう泣くことはなくなってしまった。
泣くことで唯一覚えているのは、
泣いている時って気持ちいいと感じることが
稀にあったことだ。
あれは自己主張の喜びの一種だったのかな。
悲しかったり痛かったり苦しかったり。
そんな状況の中で私はどういうわけか
そうした泣く喜びを頭の隅っこで感じていた。
高校生になってからは”北の国から”を
観ていた時を別にすれば泣いたという記憶がない。
あの頃からずいぶん経ってしまった。
小さい頃によく泣いていたらしいから
もう涙が枯渇してしまったのだと思っていたら、
そうでもないらしく
実にくだらないことでホロッとする。
ただしそれはひとりでいる時に限る。
そのほかはひたすら我慢(笑)。
我慢がなによりも苦手な私がする我慢だから
簡単に見破られてしまうのだろうけれど
まぁ、我慢する。
堪えきれないなと感じた時は
クルマを走らせて誰もいないところまで
行ってそこで泣く。
泣いた後はスッキリして
景色が違ったふうに見える。
ケツメイシの”涙”にそんな歌詞があった。
そう考えると泣くことって
けっして悪いことでもない。
だれが言い出したのだろう、
男が泣いていいのは3度までだなんて。
男だって泣きたい時に泣けばいいのだ。
スッキリしますよ。
ほら、あそこ、沖をゆく貨物船の色が
灰色から銀色に輝き出しましたよ。
えっ、泣いている時に
沖の貨物船が見えるかよって?
心配ありません。貨物船は親切なことに
あなたが泣き終わるまで
ゆっくり走ってくれますから。

※もうすっかり枯れてしまったと
思っていたパセリが新しい芽を出しました。
瓦礫の中から助け出された赤ん坊みたい。
元気に育て!またいっぱい葉を茂らせたら
少しでいいから分けてくださいね。
そうお願いしたら「やなこった!」だって。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

gooblog

前の記事

ぢっと手を見る。