寂しさという概念について。あの時の空の青を思い出しました。

ぼくがまだずっと小さかった頃
よく家族で伊勢佐木町まで買い物に出かけた。
その日は晩秋のよく晴れ渡った日曜日で
たしか2歳上の姉の入学服を買いに
野澤屋だか松屋だかに行ったのだと思う。

両親と姉が服選びしている時間が長すぎて
いつになったらこの売り場から
離れられるか分からなくて退屈だったから
ぼくはひとり屋上で時間を潰すことにした。
エレベータを降り階段を上って
突然開けた視界に言いようのない開放感を感じた。
その時見上げた空は青がとても美しく
吸い込まれてしまうような感覚になった。
あの青には明らかにほかの青とは違う
子どもながらに底知れない寂しさを感じた。
それは決して誰かから疎外されて
感じるような寂しさやつまらなさなどではなく、
なにもない真空のように公平で清潔な寂しさ。
ぼくはこの時はっきりと寂しさという概念を
このようなカタチで知ったような気がする。
ぼくにとって寂しさは開放感がもたらすもので
ネガティブだとか悲観的な感情は混ざっていない。
とても大切な感情なのだと思っている。

なぜそんなことを書こうかと思ったのかは
昨朝、フレディと散歩をしていて
ふと見上げた空の色があの時デパートの
屋上から見上げたあの青とそっくりだったから。
真空のように公平で清潔な寂しさの青。
しばらく立ち止まって眺めていたら
フレディがリードを引っ張ったから
歩き出さざるを得なかったけれど、
ちょっと待ってねと断って写真に撮った。
家に戻ってPCで写真を開いたら
青がグラデーションになってしまっていた。
だけどこうして写真に残しておくことで
昨朝あの懐かしい青を見た時の気持ちを
ずっと忘れないでおける。そう思った。

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