アイデンティティについて。

UFOのカタチをして空に浮かぶ雲は
気流に流されてカタチを変え
イルカに見えるようになっても
本質は水滴や氷の粒でできた雲である。
本質が綿菓子に変化することはない。
若くてスマートに見られていたぼくが
いつしか時流に流されてカタチを変え
お腹ぽっちゃりオヤジになっても
本質はすべてぼくの細胞でできたぼくである。
ロジャー・フェデラーに変化することはない。
つまりぼくは生まれた時から死ぬまで
ずっとぼくであるということになる。
こうした今更ながらの発見は
今のぼくをとても安心させてくれる。
今までそうだったようにぼくは
ぼくの生き方のまま生きていけばいい。
必要以上に気前のいいヤツになろうとする必要も
物分かりのいい人間になろうとする必要も
好感をもたれるような男になろうとする必要もない。
憧れを抱くことはとてもいいことだけれど
自分をどこかに押し込めるような生き方は
どこかに無理が生じていつか疲れてしまう。
どんなに頑張ってもぼくはぼく以外の人間に
なることはできないのだから。
若いぼくも歳を取ったぼくも本質は変わらない。
たとえどんなに見た目が変わろうとも。
今朝はそんなことを考えながら
ぼくはフレディと散歩していた。

さてこの文章の中に”ぼく”は何回出てきたでしょうか。
再読せずに答えなさい(笑)。

※下の写真は今朝の大岡川。
いつもの水の流れとは明らかに違って
逆流しながら複雑な波紋が川面に現れていました。
これもカムチャツカの地震と
なにか関係があるんでしょうかね。

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